平成21年塩谷の町屋散策(野沢食品) 手作り味噌と醤油 のざわ2010/3/28
Posted at 03/28 記事URL » 町屋散策 » トラックバック(0)»
我が家(野沢食品)の茶の間から土間(通り)の様子です。
茶の間には仏様(仏壇)や神棚を置くため町屋造りでは天井を高く作るのが一般的です。
右上に松材の2間半の太い梁が見えます、白い壁は漆喰壁です。
天井は垂木に板を乗せていますから3〜4人が乗っかても大丈夫です。
野沢家は室町時代には塩谷に定住していたと思われ、また名字の8割位は地名を使っているとの事ですから、どこかの県の野沢という所からここ塩谷に移住し、その後、先祖の地名の野沢を名字に使ったと思われます。
塩谷の町屋散策の日の我が家の前の地元の特産品の売店です、魚の加工品や地場の農産物を販売しました。
魚の干物や栃モチの販売、大好評の味噌焼きおにぎり、ヨギスのつみれ汁等を用意しました。
昔は板の間だった所の梁組です、上の太い梁組は左側にある茶の間の天井裏の梁組と同じ組み方になっています。
この梁組で建物や屋根を支えています、当家の住宅は江戸時代後期に、裏を流れていた堀川の上流集落の家を解体し堀川を流して運んできたそうです。
壁や柱、梁は黒くすすけています、梁が白くなっているのは味噌や醤油の住みつき菌です。
茶の間の仏様(仏壇)とその上は神棚です。
新潟県北部の岩船、村上地方では茶の間に仏様、その上に神棚を置くのが一般的です。
手前のテーブルには Z の家印が焼き判されたおひつを置きました。
中央には、漆塗りの丸い木蓋をテーブルに用いています。
茶の間から座敷を見ています。
手前にはササラ戸とその上にはケヤキの内法(うちのり)が使われています。
座敷は10畳がふた間続きになっており、カギの手に縁側が巡らされています。
玄関から続く通り土間です。
屋根を支える梁は左側を高くし、アーチ型に曲がった登り梁を使っています。
手前は「上がりかまち」の飾りの手すりです、奥には日本酒を造っていた時の看板等を飾っています。
醤油仕込蔵です。
使っている木桶は戦前清酒を製造していた時に使った木桶を用いています、杉材の表面は赤く漆が塗られています。
この建物は昭和39年の新潟地震で倒壊し、その後立て替えたものです。
左手前は、醤油を絞る槽(ふね)です、戦前は日本酒を絞っていました、板材は桜を使っています。